カッコイイ女子会
環境が維持できる可能性の範囲内に人間の営みを限ろうというのだから。
こんな目に遭わねばならないほど、私たち日本人は昔から自然環境に無関心、無頓着だったのかと言えば、歴史的、文化的に見るとそんなことはない。
その証拠のひとつは、環境分野で初のノーベル平和賞の受賞者、ケニアのワンガリ・マークイ女史が世界に広めようとしている「もったいない」という言葉である。
国連での演説(二〇〇五年三月四日)で、日本政府のR運動―リデュース(ごみの減量)、リユース(再使用)、リサイクル(再利用)―――を紹介しながら「これを日本語で二言で表すと『もったいない』になる」と説明し、「MOTTAINAI」とローマ字で書かれたTシャツを掲げた。
横文字好きのわが政府がやっている運動を外国人が日本語で表現したところが(本人にはその意図はなくとも)何とも皮肉である。
が、もっと皮肉なのは、「もったいない」が原産地ではほとんど死語と化していることだ。
かつて雑誌の編集長をしていた私は「今どきの若者」を表現する意味で、「新人類」という語を世に送り出したことがある。
ほとんどジョークのつもりだったのが、若者への違和感を探めていた「旧人類」たちにアピールしてしまい、流行語になった。
〝発信元〟の編集部には、「新人類」の定義、リスト、年齢などの資格要件などについての聞合せが相次ぎ閉口した。
その時、私が「新」と「旧」とを分ける分水嶺として用いたのが「もったいない」だった。
食うや食わずの幼時体験があって、「もったいない」と思わず口にする世代と、大量生産、大量消費の時代に育って「消費は美徳」と刷り込まれ、「もったいない」という言葉を知らない世代。
それが分かれ目だと説明したのである。
マータイさんが古い日本語を復活させてくれたことに感謝したいところだが、「もったいない」にはRどころか「持続可能性」に通ずるものがある。
もともと日本人の持っていた言葉が消えていったということは、それが示していた内容が消えたということである。
それはこの語を知らない人たちのせいというよりは、その語を忘れようとした人たちのせいだろう。
とにかく、「忘れた世代」と「知らない世代」とが、ともに大量生産、大量消費、大量廃棄の、今日に至る私たちの社会を作ってきた。
そこに新旧の別などなく、多くの流行語がそうであるように、「新人類」などというのはまことに軽薄、軽率な造語だった。
「日本で一番美しい」照葉樹林ロハスのすすめ,森林の危機私はアンケートが嫌いである。
そこで突きつけられているのは、イエスかノーかに近い、短い回答である。
つまり手早い答である。
世の中には、そんな短さでは説明できないことがたくさんある。
だから「アンケートには一切答えない」ことを原則にしてきたが、アンケートに全く効用がないわけではない。
問いによっては、普段は原点に立ち返っては考えたことがなかったテーマを考えてみる機会となる。
「日本で一番美しいと思うもの」は何か、という、ある雑誌の問いなどはその例である。
私は時々、寝床で日本列島を思い浮かべながら、自分が好きな場所を順に頭の中で数え上げることがある。
一都一道二府四三県、全く〝取り得″のない所はひとつとしてない。
その多くがかつての姿を損なっており、〝傷だらけ列島″だと思うのだが、そのどこかに未だ魅力を残している。
もともと、こんなに地理的にも気候的にも「変化」に恵まれている国は世界中に滅多にない。
亜熱帯の沖縄で泳いでいる人たちがいる時に、北海道ではスキーをしている人がいる、といった気候分布を小さな列島で併せ持っている国は他にないし、春夏秋冬がそれぞれの変化を伴ってやって来る国も少ない。
ただ、私が美しいと思う場所は失われようとしていたり、保つのがむずかしくなっている所が多いことにも気付く。
そういうなかで、「日本で一番美しいと思うもの」という問いでまず私の頭に浮かんだのは、宮崎県綾町の照葉樹林だった。
宮崎に出かける用事があって時間があれば訪れるのがそこであり、宮崎での用事(講演など)を引き受ける理由も、そこに寄れるからだった。
私がそこに魅せられるのは、いつも緑を保ちながら季節ごとに色合いを変え、陽に照り返る「てるは」が美しいことが第一の理由だが、その美しさを味わうにはそこしかないからでもある。
昔からそうだったわけではない。
私が育った同じ九州の、しかも「日田杉」の産地でさえ、「雑木林」と呼ばれていたそれは豊富に在り、私たち子どもたちにとって大事な遊び場だった。
山間のガキどもにとってだけ大事だったのではない。
ヒマラヤ中腹から中国南部、日本の東北地方まで広くアジアに分布する照菓樹(常緑広葉樹)は、その一帯に住む人たちに共通する生活文化(照葉樹林文化)を作ってきたという。
ということは「日本人」を形作った,森林の危機ということでもある。
焼き畑農業で育てた穀物、大豆を酒や味噌・醤油にする発酵文化、森に生息するカイコのまゆから紡ぎ出す絹の文化、樹木からウルシを採って塗る漆器文化(因みに漆器の英語名は「ジャパン」である)―などがその例である。
どれも「持続可能性」が高く、生産物をその生産過程と要する時間とで「スロー」と「ファスト」に分けると「ゆっくりとした生産物」に属する。
かつては私たちの国の半分以上が照葉樹林に覆われていたと推定されているが、現在はわずか一二ハ%(約六〇万ヘクタール)が散在するにすぎない。
中国などではほとんど姿を消したといわれる。
唯一まとまった形で綾町にそれが残ったのは奇跡的と言えるが、この奇跡を可能にしたのには一人の人物の存在を抜きにすることはできない。
一九六六年から二四年間、町長を務めた郷田賓氏(故人)で、今日、綾町を訪れても随所にこの傑出した地域指導者の実績と先見性の痕跡を見ることができる。
有機農業を早くから手がけ、それで作られた野菜類に「綾町」というラベルを貼った(一九八八年から)。
それも無農薬の段階によって、金、銀、銅と色分けをした。
宮崎市という都会に近い地の利もあって、「綾町ブランド」は割高でもよく売れた。
前に述べたように「地産地消」では生産者を明示することが普通になっているが、はるかその以前に綾町がやったのは、その先駆的試みだった。
照葉樹林の多くは国有林だが、その伐採計画が持ち上がるたびに反対運動の先頭に立ち、八五年には「照葉樹林都市宣言」をした。
だが、郷田氏の没後も、「役立たずの森」への〝攻撃″は執拗に続き、二〇〇三年には住民や環境保護派の抵抗を押し切って九州電力が高圧送電のための鉄塔一五基を建設した。
私の早くからの〝入れ知恵″は、なるだけ早く「世界遺産」に駆け込むことであった。
それに登録されれば、人類共有の「遺産」として守る義務が生じ、うかうかと手を出せなくなるだろう―。
同じことを考えたのは私だけではなく、それを推進する人たちの努力で〇三年の国の候補地検討会でも最終七カ所に残った。
が、推薦リスト(知床など三カ所)からもれたのは、「人為の影響を強く受けて小規模に分断されている」ことが理由だった。
それからしばらく経って、もうひとつの奇跡が起きた。
今度の奇跡は、これまで「開発」一方で伐採に執着し続け、「民」との対立関係にあった「官」(林野庁)が方針を大転換させて、官民協働の保護・復元計画を持ちかけてきたことである。
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